◆◇◆BBSの芽生え(その1)◆◇◆
------------------------【配信日:2 012.04.25】
◎BBS会員、その他関係者のみなさんへ
チュウBメルマガは、中国地方のBBS活動を中心に、
BBS(Big Brothers and Sisters Movement)についての情報を
みなさんにお伝えするツールです。
お時間のある時に、ご覧いただければ幸いです。

BBS活動等については、日本BBS連盟ホームページを。
http://www2.ocn.ne.jp/~bbsjapa n/katsudo/katsudo.html

BBS member, the other Ladies and Gentlemen concerned.
Chu-B mail magazine is a tool which gives you the information
about BBS, mainly BBS activity of the Chugoku district in Japan.
When there is time, I am pleased if you take a look.
Only the Japanese language, Sorry.
I am very glad, if translation is challenged and it gets.

BBBS (Big Brothers Big Sisters) About, BBBS International Homepage.
http://www.bbbsi.org/
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日本でBBS運動が始まったのが、京都にて昭和22年(1947 年)。
組織の名は「京都少年保護学生連盟」。

初代委員長は、永田弘利先生。(京都市下京区在住・現在85歳)
永田先生が日本でのBBS運動の始まりについて、昭和63年(1 988年)
に「BBSの芽生え」と題し、執筆されています。

日本のBBSのルーツについて、これから何回かに分けて配信しま す。

(永田弘利先生と、発行元の公益財団法人日立みらい財団に許可を いただき
ました。)
『BBS運動の芽生え』

「犯罪と非行」第76号掲載(昭和63年5月発行)
発行:(財)青少年更生福祉センター・(財)矯正福祉会

永田弘利(物流・マテハン新技術研究所長)
○第二次大戦直後の世相

およそ42年も前の事になります。

今から考えると、随分むかしのことになりますので、記憶もかなり うすれて
定かに思い出すことは困難な筈なのですが、意外にも記憶がはっき りして
いるように思えるのは、その当時が、今の社会情勢とはあまりにも 大きな
懸隔があって、思い出すごとに誰かに伝えておきたいという衝動に 駆られる
ほど、それはそれは少々の過剰表現を用いたと思われるほど、オー バーな
表現をしたとしてもなお、現代の日本の国力を支えている若い人々 には、
充分お伝えすることが出来ぬほど、すべてが荒み切った疲弊した時 代で
あったからでしょう。

幸いにして、第二次世界大戦という不幸な出来事にもかかわらず、 私の生まれ
育った京都の街並は、戦火からまぬがれはしましたが、その結果、 占領軍の
兵士達も沢山滞在し、また、大阪を中心とする戦災の地域から、戦 災孤児も
随分沢山、京都へ流れ込んで、駅や市の中心部ではいたるところで
シューシャインボーイ(Shoeshine Boy)の姿を見かけました。

私の家から幾らも離れていない場所にあった旧憲兵隊京都司令部の 跡は、
家を失った人の保護収容所になっていましたし、直接の戦火を受け なかった
だけに、戦争の悲惨さを殊のほか情けなく思ったものでした。

とは言うものの、いわゆる親のすね噛りの学生の身は、大豆粕やさ つま芋の
葉柄を炊き込んだものとはいえ、みんなそこそこの弁当箱をぶら下 げて、
鈴なりと言われる市電のタラップにぶら下がっての通学で、軍需工 場への
学徒動員から解放された毎日を、安穏に過ごしていたわけです。

ですから、欠講の統く授業や、実験材料の不備、果ては、ただわか らぬまま
に矢鱈と民主化という言葉を乱用し、当時としてはとても直ぐには 改善を
求めることが無理と解っているようなスローガンを掲げ、方々の大 学で
学生争議が起こっていました。同盟休校という、学生の方から授業 を放棄
する学生運動が、各地で起こったのもこの頃でした。
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(その2)につづきます。